Storytelling

写真と言葉たち

無の心で電話ボックスのドアガラスに付く沢山の雨粒たち。


電話ボックスのドアガラスに沢山の雨粒が付いていた。
これを写真で録ったらどうなるのかを試してみた。


あれ?なにか意味がありそうな、なさそうな構図に、これは何だろう?
と思うと、そう、いくつかハッキリと分かる確かな事実がありそう。


それは、雨粒の大きさ。
どうもこのガラスに付くには最大の大きさはどうも5mm位までに決まっているようだ。
しかも、それぞれの雨粒の間隔もある長さ以下に決まっているようだ。


とすると、たぶん複雑な数式を駆使してコンピューターでシュミレーションすればこれと似たような画像は作れるのだろう。何しろ、ドライブゲームでも運転する窓ガラスに雨粒が流れるのも表現できているのだから、。

さてさて、ここには確かに雨粒が存在している訳なのだけれど、雨粒それぞれはここに取り付こうとしてここに来たのだろうか?いやいやそんな事はあり得ない。雨粒自体にそんな意思があるはずはないし、ひとつの自然現象としてここに存在したのだ。


そう、雨粒は複雑な数式を使うことなく、ただただ自然の法則に従い、言い換えれば、神の意志に従い、無の心でここに存在しているのだ。

曲げられた指先に宿る、真直ぐな気持ち

通りを抜けて信号を待っていると、すぐ脇から大きな話声が響いてきた。


どうやら、どこかのお店の女性がお客様風な男性に対して、駅への道案内をしているようだ。
彼女の掲げている手が駅の方向を示している。

よく見ると、掲げている彼女の指先はキュッと曲げられていて、伝えたい真直ぐな彼女の気持ちがしっかりと込められている様だ。


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街の秋祭りイベント会場へ向かう女性

駅前の広場には大きな出みせのテントも出ていて
沢山の人が行き交ってるイベント会場となっている。


ライブの軽快なリズムの音楽に合わせるかのように
人々の足取りは軽快に様々なブースを巡りたどっているようだ。


路地を抜けてようやくそこへたどり着いたら、
一人の女性が私を追い抜いて行った。

私と同じように、
長い距離を歩いてイベント会場へやってきたのだろうか?
女性はおもむろに後ろ手で背中のバッグの位置を直している。


特に誰かと待ち合わせているのだろうか?
それとも一人でこれからどこを回ろうかを考えているのだろうか?
それは分からないけれど、
背中のバッグの座りを確認しているという事は、
このイベントで何かを期待して、
何らかの決意を固めているかのようだ。


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日曜の駅前の交差点は、ちょうど日が暮れたトワイライトタイム

日が暮れたばかりの駅前、トワイライトが街を淡く染める。
交差点の青信号が、行き交う人々を静かに送り出す。


休日の余韻を抱えたカップルが仲良さそうに向こうへと渡り、
その反対側から家族連れが楽しげな笑い声を携えてやって来る。


バス停の周り、信号待ちの列、
誰もが小さなグループの中で温もりを見つけている。


そして目の前、父親と小さな女の子が一緒に歩く。
彼女が父親へ顔を向け、何かを話しているけれど
その瞬間はぶれていて、彼女の表情は良く見えない。


でも、ハッキリと分かるのは、彼女も、カップルも、家族も、
誰もがそれぞれの幸せを確かめるかように、
このトワイライトタイムのワンシーンを演じている。


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ヘッドフォンを聞きながら原宿表参道を行く女性

夜の原宿表参道、
ブティックの明かりに浮かぶシルエット。
手にペットボトルとスマホ、
ヘッドフォンから流れる音楽。


どんな音楽を聴いているのか?
軽やかなジャズかな、
それともお気に入りのポップソング?
妄想が膨らむ一瞬。


彼女は軽やかに、
通りを過ぎて行く。
夜の街が再び静まり返り、
その姿はもう見えない。


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