平和のトーラスを作ろう

お互いに合わせた指先と指先の一点から発生した力が、お互いの体を通してループ状に伝わっている状態で、平和のトーラスが完成します。

君は来るのだろうか?

今日、君は来るのかな?
それとも、来ないのかな?


先週も、先々週もこの同じ時間に来ていたから
多分、そろそろ今日も来るのだと思うけれど、
もちろん、来てくれたらいいな、
とは思っているけれど、
でも、でも、でも、、、、
君は来るのだろうか?
それとも来ないのだろうか?


帰物帰りの人、
送ってもらった車から降りて、別れの挨拶をしている人、
元気よく駅から出て家へ向かう人、


そして、中にはチラッとこちらを見る人たちが
時々近くを通り過ぎたりしているけれど、
その中のだれもが君じゃあない。

と、妄想しましたが、しかし、三枚目の写真のこちらを見ている彼女の表情がかなり面白いです。拡大してみると、「貴方私に興味あるようだけれど、じゃああなたはいったい何なの?」と言っているような目線でした。


いやあ、私はあなたを写そうと思ってはいませんでしたし、どっちみちハッキリとは写っていませんからご安心くださいませ。


しかしこのところズーと夜の写真が続いていますねえ。
でも、このカメラ夜の風景の発色が凄く良いのですよね。
特に暗くなりかけた時の街を撮ると、本当に色鮮やかな色に写るのですよ。
又、動く人物はボケやすくなるので、意外と肖像権に引っかからないってのもありますから都合が良いのでした。


写真から色々妄想しちゃうよね。

現実の動く世界は毎日普通に見ているので、何か特別な景色や意味のなんだかよくわからない不思議なものや、何だろうかといろいろ妄想できる場面はそう出くわすことはありません。


まあ、何かあったとしてもチラッとはみてもジックリ見る事もなくさっさと自分の用事を済ませるために目的地へ街を移動する訳です。


そんな街の風景を、写真に撮ってみると、いつもは見過ごしているものが何だろう?と思っていろいろ妄想できるものが写る時が多々あります。っと、最近気が付いたのでした。


そこでいつもは通り過ぎるだけの新宿西口で少しスナップしてみました。まずは目の前にあるモード学園のビルを撮ってみました。 

すると、ビルが丁度写るようにすると目の前の通行人も写る角度のため、右端には少し背中を丸めて帰宅する感じの女性の方が写っていました。きっと彼女にとってこの場所は、歩いて例えばバス停へ向かうためなどの帰宅する道なのでしょう。


その左には、地図をチェックしている自営業風の男性が目的の場所を確認しているようです。


その手前には、会社帰り風の女性がカメラ目線で写っています。シャッタータイムが長いので少しボケていますが明らかになかなか良い感じの表情でこちらを見ています。ぜひ写真を別ウィンドーで表示して拡大してみてください。はっきり写っていたら肖像権の問題が起きますが、しかし現実にも多分素敵な女性であろうことは事実なのでしょう。と、妄想してしまいます。


一番左には、画面から逃げていく女性仲間ふうの二人が写っていますが、チョットびっくりしたのはその奥にある透明なボックスです。中に何人もの人が隔離して入っているようなかなり大きなボックス建物です。


これ、禁煙ボックスなのですね。これはさすが人口が多い新宿の街ですね、巨大です。しかし、とにかく都会の風景としたら異様な風景ですよね。いやはや現在の東京って凄い世の中なのですね。


改めて、写真をじっくり見て、いろいろと妄想してしまいました。



夜の目黒駅近くの道路の横断禁止の場所を横断する男性。

見晴らしの良い休憩コーナーから外をなんとなく眺めていて、特に面白い風景が見つかった訳ではないのだけれど、ちょっと試しにファインダー越しに風景を覗いてみました。


覗いているうちに、何台かの車が下を通過していき、目の前のビルの広場を何人かの人が通り過ぎているのを見ていて、何か特にここを撮ろうとか考えている訳ではなかったのだけれど、覗き飽きたのでもう止めようと思って、最後に試しに一回シャッターを切ってから帰宅しました。


その時の写真がこれなのですが、よく見るとひとりの男性が横断歩道ではない所を向かいから車が来ないのを確認していたのでしょう、そそくさと道の反対側へ渡っているところが写っていました。


しかし、残念ながら反対側の道には植木が切れ目なく植えてあるので、すぐに道の反対側の歩道に渡れず、たぶん植木沿いにその先の信号のある交差点まで車道の端を歩いて行ったのに違いありません。

又、画面左の方を拡大してみると、さすが最近のカメラは暗い中でもかなりシッカリと何人かの人、信号を待っている人、信号を渡って帰宅していく人の様子が写っています。

そしてさらに拡大してみると遠くには、バス停を待って並んでいる人、ベンチで座っている人達がいて、確かに全体では現実には良くある風景の現実が写っていたのでした。


さて、そんな訳でこの写真には何か特別な面白いものが写っている訳ではなく、だれもが知っている良くある日常の何気ない風景で、珍しい綺麗なものが写っている美しい風景ではありません。


でも、もし最初の写真をかなり大きく印刷して左奥の遠くの風景もまあまあ確認できる程度に大きくプリントしたとすると、何人かの人たちが何をしているのかがはっきり認識できるレベルに写っているので、思わずどんな人達なのか妄想したくなってきませんか?
ああ、あのベンチに座っている人はきっとある程度のお年の方なのだろうなあ、とか?


そう妄想出来るとしたら、結構この写真は面白い写真なのかも?



ヘッドライトに照らされて出きた影

雨の日の夕方駅前の交差点を眺めていたら、
横断歩道を通る人がヘッドライトの光を受けて
とても巨大な影を作っているのに気が付きました。


全体の大きさはとてつもなく大きく
なっているであろう影は、
人が歩くのと一緒に、
自転車が進むのと一緒に
動いていきます。

どうせなら出来た影の形も人の形になれば
どこかの写真と同じになるのでしょうが、
多分ヘッドライトはほぼ水平に照らしているので、
残念ながらできる影の大きさは、とてつもなく巨大、
或いは無限大の大きさになっているかもしれません。

ちょうど良い時間と、天気の時に、交差点を見通せるのに丁度よい場所からだったので、
こんな影を見る事が出来ました。



写真とは、真実を写すものなり。


三人組の若者が仲良く整列しているかのように街の角を曲がって、どこかにある共通の目的地へ向かって、とにかく寄り道する気もなさそうにさっさと歩き続けているようです。
遠目からだし、ハッキリと顔が見える訳でもないのですが、三人とも共通のグループに属している風に見えるし、おそらく真実は大学のサークルとかであろうと思われるけど、たとえ違っていても、そう大きな違いはないのでしょう。


又、道の反対側には電柱の傍でスマホをしている人がいるけれど、なぜ電柱の傍なのか?多分、もしトラックがぶつかってきたら電柱で防御できるかの知れない?と、思っていたのかどうかは分かりませんが、無意識のうちで電柱の傍にいると安全であろう、と思ってそうしていたのでしょう。


恵比寿駅前のバス停で仕事帰り風の人たちが整列している脇を、駅へ向かう人、駅から出てきた人たちが通り過ぎていて、誰もがただボーっと立っているのではなく、それぞれの目的を本人に直接聞かなくても写真からはいろいろ妄想出来きます。

例えば、スマホをチェックしながら駅から出てきた人は、明らかに、仕事がらみのメールではなく、友達とラインをやっているであろう事は可なりの高い率で真実でしょう。


そうなのですよ、たわいのないこの写真に写っていた人たちは、だれもが、つくられた物語で真実ではない作られた演技をしている役者などではなく、嘘偽りのない現実の世界で、真実の自分の姿を表現している人たちなのです。


この意味で、写真とは真実を写すものなのでした。


ある日の雨上がりの恵比寿駅近くにて、、。


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後述です。


このタイトルの「写真は真実を写す」というのに否定的な考えが結構ネット上にはありますね。「写真」という日本語の意味は文字通り、「真実を写す」という意味であり、「フォトグラフ」とは少し意味が違います。


この否定的な考えは、外国の考えがすべて正しくて、日本の考えは劣っている、つまりは反日思想なのです。日本語の意味を否定しているからです。


例えばこのサイト、

ここでは、結論として、「写真はアートである」としていますが、実は「アート」とは「真実を写す」ものなのですよ。ですので、写真は真実を写すのは正しいのです。


アートとは人間が創作した、自然ではなく人工的なものなので真実ではないという意見が多々あると思いますが、アートとは、人間が真実を模索して表現するべきものなのですよね。


戦後の教育で真実を見てはいけない教育が70年間もなされてきました。しかし、いろいろなところで今まで秘密だったことが暴露されてきました。そろそろチェンジする時代になるのでしょう。かな?