日本の風景らしくない、でもやはりこれは日本の風景
六本木ヒルズで撮った一枚だけれど、なんでこんなものを撮ったのか?と若干後悔している自分がいました。
おしゃれなカフェの前で何やら語り合う若者の様子が絵になるかも?という気がしてシャッターを切ったのだけれど、その後なんだか気持ちががスッキリしないのです。
というのは、どうもモデルは日本人ではなさそうだし、お店はクレープで日本風ではないし、とても日本の文化の良さを撮ったわけではない気がしたからです。
でもよくよく見ると必ずしもそうとは限らないかも知れないという気もしてきました。
彼らは何をしているのかをよく見てみます。
そう、一見して何を食べようか考えている風に見えるけれど、でもたぶん違うと思います。女性は片足を台にかけてるし、男性もメニューを見てはいるが、あまりにのんびりとジックリとメニューを順番に見ている風で、とても何を食べようか選んでいる風にはみえなさそうです。
私もしばらく後ろで様子を見ていましたが、ズーっとこのままの態勢のままだったし、
そして、もしかして彼らはメニューの中の日本語の文字を見ていたのではないかな?と思い至ったのです。
そうするとこの図はそんな風に見える気がしませんか?。
「この店はクレーブの店だから、この文字がcrepeって書いてあるんだろうね?」「これはイチゴのクレープだから、この文字は Strawberry っていう意味よね?」っという風な会話が聞こえてきそうな図ではないでしょうか?
そう、この図は外国の人が、日本語の国へ来て、日本語の文化と戯れて楽しんでいる図なのですよ。
そう、とうとう東京もたくさんの西洋風な文化に満ち溢れて、日本風の良さは減ってきたし、これからもそれは続くのでしょう。では、日本文化は衰退の方向しかないのでしょうか?
いや、それは、ち、が、い、ま、す!
日本を日本らしくしているのはこの図の中にも実は表現されていたものでもある、「日本語」なのですよ。
日本人とはなにか?という問いの答えとして、「日本語をネイティブに話せる人が日本人である」としても良いと思うのです。
そんなわけで、この素晴らしい国の言葉、日本語と戯れる外人の若者たちのこの図、実は日本の風景らしくない、でもやはりこれは現在の日本の風景、或いはこれからますます多くなるであろう未来の日本の風景の、演技ではない生々しい現実の図でもあったのでした。
(注意!これは筆者の誇大妄想の恐れがあります。)