Storytelling

写真と言葉たち

不思議な光が差す目蒲線目黒駅アトレ謎の空間



目蒲線目黒駅アトレには謎の空間があります。一応エレベーターホールなのですが皆さんエスカレーターを使うのでほとんど使う人はいません。しかも、3階までしか行きませんからそれも複数あるのに。


おまけに立派な階段もあるし、その途中へ来て、下を見たらそこには不思議な一筋の光が入ってきていました。なんだか都会にある秘密基地みたいです。


多分これは建物の設計ミスでしょうね。入口自体は表に面していますが、残念ながら中に何があるのかガラスが光っていて良くわかりませんし、みんな目立つ表玄関のエスカレーターに乗っていきます。


面白いのは、この近くに住んでいる主婦の方の話で、この場所は知っているけれど、行きたくない場所だと言っていました。多分、こんな裏口みたいなところからコソコソ行くのは嫌なのかもしれません。この広い場所をつぶしてお店を作れば有効な土地利用になるのでしょうが、もう遅いですねえ。


そういえば似た構造で、昔の表参道ベルコモンズも階段が外から見えて建物のデザインがかっこ良かったのですが誰もその階段を利用する人はいないという、デザイナーのエゴで作ったような建物でしたね。でも、これはデザイナーを頼まないで作った建物でしょう。


入り口から中を見ても何があるのかが分かりずらいし、だいぶここで人が来るのを待ちましたが、ようやく来た人を写すことが出来ました。

コンビニ脇で水分補給をする人と、その脇を行きかう人たち

人はそれぞれ歩くスピードが違います。
女性はやや遅いし
男性でも外人はより速いだろうし、
自転車ならば人よりももっと早い。


それが、申し合わせたかのように
コンビニ脇で水分補給をしている人のラインで
皆さん同時にクロスしました。


お、み、ご、と


飲みっぷりもね。

駒場東大前盆踊り大会のレポート



いくつかの盆踊り大会を見て回りましたが、駒場東大前の盆踊りが一番インパクトがありました。もう踊る全員が凄い熱いのでした。コロナで開催が出来なかったのですが、その溜まったエネルギーを思い切り発散するかのように、凄いテンションの高い盆踊り大会でした。

曲の紹介などを交えていろいろマイクで、まあ、今でいうラップ風に盛り上げている人がとても上手で、たぶんこの日の為に様々なプランを考えてやっているんだろうな、とうかがえましたが、その中で「東大生と一緒にさあ、踊ろう!」というのが私的には一番受けましたね。

この地区にはやはり子供たちも沢山いるんですね。予備校もいっぱいありそうな地域ですからね。



確かに何人かの学生らしい人もいましたが、彼らもこの体験をしたという事は、将来日本の文化の盆踊りをより大切に守っていくという事は間違いなくズーっと約束されたようなものかもしれませんねえ。

盆踊り


ボンダンス、という人もいるけれど
やはり盆踊りは、盆踊り、
盆踊りで行きましょう。


それぞれの人が
それぞれの場所から
集まって来ているのだけれど、
みんなどんな思いで
集まってきているのだろう?


そこで、盆踊りの帝王「ともくん」
にさり気なく聞いてみたら
彼はその理由をこう言った。


一つ、盆踊りが好きだから
二つ、盆踊りが大好きだから
三つ、盆踊りを踊るのが大好きだから


それぞれの人が
それぞれの流儀で
踊っているのだけれど
みんなどんな思いで
集まってきているのだろう?


そこで、盆踊りの姫君「笠郎女」さん
にさり気なく聞いてみたら
彼女はその理由をこう言った。


一つ、盆踊りが好きだから
二つ、盆踊りが大好きだから
三つ、盆踊りを踊るのが大好きだから


ボンダンス、という人もいるけれど
やはり盆踊りは、盆踊り、
盆踊りで行きましょう。

窓ガラスに映ったこちら側の世界と、窓ガラスを通して見た向こう側の世界


見晴らしの良い休憩場所でぼんやりと外を眺めていたら、
本当の自分は二つの世界を同時に見ていることに気が付いた。


窓ガラスに映ったこちら側の世界と、
窓ガラスを通して見た向こう側の世界。


確かに様々な情報を、テレビやインターネットで理解するけれど、
それらはみんな自分の外の情報だ。


それらの情報を理解して自分で自分の中に外の世界を構築している訳だけれど、
では、実際に見えている世界と、自分の中にある世界とは同じものだろうか?


自分の体にある目を通して見えているこの世界と、
自分の体にある頭で理解しているこの世界


。。。。。。。。。。。。。


と、無理やり哲学風な、ゴホ! 詩なのか、ラップなのか、歌詞なのか、たわ言なのかを付けました。


しかし、一枚目の真ん中あたりにある大きな人影と小さな人影は、スマホを持っている角度が全く同じなのは何故?鏡に映った同じ人?どんな偶然の配置でこう映ったのかは理解できませんが、ちょっと偶然が凄すぎですねえ。おまけに、同じ様な恰好をした人影がセブンイレブンに行こうとしているし。


二枚目の上の真ん中ほどに、オリに入れられた様な不自然な感じで人が密集している場所が写っています。望遠で撮ると余計に密集感が強まるのですが、。


なんだか、こうしてみると最近の東京人は変な習性がありますねえ。なんでスマホをチェックするのにわざわざ混んでるマックに行くのかなあ?大勢の他人に囲まれると安心するのかもしれませんが、これって病気以外の何物でもないと思いますが、まあ、好きにして下さい。私には付いて行けません。


全世界がそうなる方向へ?どんな?行くらしいけれど、まあ、居心地が良ければそれもアリなのかもしれませんが、よろしく住みやすい世界にしてくださいね。と、誰かにお願いしておきましょう。


(後述)
がしかし、、今気が付きましたが、一枚目の真ん中に写っている二人は、このタイトルみたいに一つのものがまるで裏と表みたいに存在しているのかのごとく、本当に鏡に映った同じ人みたいに見えているのは、何という偶然。このタイトルを象徴しているかの如く写っていたのは、これを書いた後から気づきました。物理的にこんな風に鏡に映るのかな?後でもう一度明るい時に行って確かめてみましょう。


(その後)
昼間だと分からなかったので、夜行って見たらようやく全ぼうが明らかになりました。
可なりややこしかったのですが、二重に三重に偶然が重なっていて、説明すると、前の人がいる背景の四角の明るい部分は確かに存在しそれが反射して見えているのですが、実は同じものが前のビルの窓ガラスに反射してこちらから見えていたのです。その証拠に、小さな消火器があるのですが、両方ともにその一部が見えています。なのでその分遠いので小さく且つ角度が変わるので、前の人とクロスしている人が前のビルに写っていたわけです。そのクロスした人の後ろ脚が前の人のすぐ後ろに一部が写っていますが、その靴の角度と、遠くに写っている人の後ろ足の角度から、ほぼ同一の人と認められます。


それに加えてよく見ると、遠くの人の後ろに前の人の一部がうっすらと、しかもこの場所でも後ろ足がくっついて対象に写っていますが、で、オマケにどちらの人も背中に同じような四角く何やら楽器のようなものを背負っているっぽい感じ、ってのもまたまた不思議です。同じようなものを背負ってスマホをてに持つ人が現実に対照的にすれ違って、ほんとに、なんだか知らないけれど、向かいのビルに二人が対照的に、向かいのビルと、目に前のガラスにも対照的に、ある一瞬にこんな複数に対照的に、鏡に映ったような映像が見えているのは何故?こんな不思議に気が付く私が異常なのかな?あ、それはあるかも。


まあ成程、どんな不思議な現象でも何らかの正当な原因理由が必ず存在するっていう事でしょうか。でも、こんな不思議な現象が実際には同時に起きるって事がある、って事は解けません。いや、だけれどもしかすると、そういう偶然って、実は珍しくなく日常的に起きているけれど、ただ気が付かなかっただけなのかもしれません。もしかして、普段は見過ごしている偶然が、写真を撮って平面に静止画として固定する事で改めて気づかされる、という事なのかもしれません。


実際に以前から何度も、写真を撮ってみて初めて分かった、という事が、このブログでも何度も書いていましたねえ。そんな訳で、これからも、何気ない普通の風景でも、「あれ、なにかな?」みたいなものを探して撮っていこうと思います。


え?そんな些細な偶然って、意味ない?何のためになる?と思う貴方!ブレッソンの水たまりを知らないの?最も有名な写真ですよ。天使が下りてきて「今シャッターを切りなさい」と言われてブレッソンが撮った写真です。とは、私、ブレッソン信者の妄想なのでした。


マイ名言


常に流動的な世の中の様子を一枚の静止画として定着する事で、今まで見えなかったものが見えてくる事がある。


あれ?聞いた事があるよな無いような?検索したけれど、似た文は無いなあ。


・・・・またまた後述・・・・


今もう一度確認に行ってきました。
今までの検証完璧に間違いではございませんでした。
すなわち右から来た人が先ず遠くの小さな白い背景に写って、次に前の大きな白い背景に写ったのでした。


だれの指示で私はこんな写真を撮ったのかなあ?
不思議です。


<<<<<< もう一つ後述


結論として、窓の向こうの世界と、窓に反射する世界と、反対側のビルに反射する世界の3極構造でした。ここまで来るのに一か月もかかりましたがね。この結論でインスタに乗せよっと。お、つ、か、れ、自分。

交差点で待つ人、通過する人の図。(作品の作り方について)

街を撮るのは結構難しい時代になりましたねえ。


兎に角、写真から個人が分かるようなのはダメなのはそうなのですが、もし本人に写真を見て「これは貴方ですか?」と聞けば、「そうかなあ?でもこれ何処で撮りましたか?」とか聞かれますよね?なぜなら,こちらとしては、ブラしたりしてすぐには顔などが分からないようにしている訳でして、「あ、その場所のその時間ですか?それじゃあ確かに私です。」となる事もあり確かにあり得ますよね?


でも、そういう事になる可能性って、限りなく0に近いパーセントですよ。このような事を聞く写真に写っている本人をどうすれば、そして誰が探し出せますか?とてつもない天文学的時間と費用が掛かるでしょう。


そして、ここに写っている本人自身がこの写真を見る可能性は殆どないでしょう。全然有名な写真家でもない私のこのブログの写真に写っている本人が見つける事も殆ど0%だと思いますし、又、本人自身が見たとしても、すぐわからないように撮っているので、本人だと気が付く可能性も又又少ないでしょう。


ただ最大の問題は、悪意を持って、つまり、私を陥れるために肖像権を主張する人に攻撃された場合です。これは、ちょっと怖いですね。

でも、でも、それは誰?誰が私を陥れますか?この無名の金も名誉もないアマチュア写真家を?( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

なので、この写真を見ただけですぐに個人が分からないのならば、商用写真に使う訳ではないのでOKにして欲しいな、という刹な、お、が、ね、い、です。

それにしても、実はですね、この単なるストリートスナップ風ですが、ただチョット撮っただけではこうはならないのですよ。この写真ができるまでは様々な血の出るような?努力、それと運が必要なのです!と、しておきます。

最終的に出来上がるにはさてさて何枚撮ったでしょう?それは言えませんね。まず写る全員の顔がハッキリしてはダメなのです。試しに撮ってみればすぐわかりますが、必ず顔がハッキリした人が一人は写ってしまいます。

ですから、全員がカメラを無視していて、近くの人は顔をカメラの方へ向けていない状況になるのをジッと待つしかありませんが、これには運が必要です。でも、一定の場所で長い時間そうしていると怪しい人と、思われかねないので、その時にさりげない旅行者風な笑顔も必要です。

ま、このような普通ではない努力が必須ですが、でもこれは、例えば俳句や短歌に字数制限があるのと同じように、ストリートフォトに必要な決まり事、と自分に言い聞かせています。

それにしても、後で見たら、横断歩道の反対側で挨拶をしている二人はまるで、あそこで演技をしてください、って私がお願いしたみたいに写っていますよ。これには私もいい感じで苦笑。ボケていても雰囲気分かりますねえ。あと、暑いから日陰で待つ人もあんな端っこに写っていたとは気づきませんでした。実は、あれ、ビラでも配っている人なのかな?と思いましたが、この日はさすがに暑かったですから、日陰で青信号を待っていた人なんですね。