Storytelling

写真と言葉たち

交差点で待つ人、通過する人の図。(作品の作り方について)

街を撮るのは結構難しい時代になりましたねえ。


兎に角、写真から個人が分かるようなのはダメなのはそうなのですが、もし本人に写真を見て「これは貴方ですか?」と聞けば、「そうかなあ?でもこれ何処で撮りましたか?」とか聞かれますよね?なぜなら,こちらとしては、ブラしたりしてすぐには顔などが分からないようにしている訳でして、「あ、その場所のその時間ですか?それじゃあ確かに私です。」となる事もあり確かにあり得ますよね?


でも、そういう事になる可能性って、限りなく0に近いパーセントですよ。このような事を聞く写真に写っている本人をどうすれば、そして誰が探し出せますか?とてつもない天文学的時間と費用が掛かるでしょう。


そして、ここに写っている本人自身がこの写真を見る可能性は殆どないでしょう。全然有名な写真家でもない私のこのブログの写真に写っている本人が見つける事も殆ど0%だと思いますし、又、本人自身が見たとしても、すぐわからないように撮っているので、本人だと気が付く可能性も又又少ないでしょう。


ただ最大の問題は、悪意を持って、つまり、私を陥れるために肖像権を主張する人に攻撃された場合です。これは、ちょっと怖いですね。

でも、でも、それは誰?誰が私を陥れますか?この無名の金も名誉もないアマチュア写真家を?( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

なので、この写真を見ただけですぐに個人が分からないのならば、商用写真に使う訳ではないのでOKにして欲しいな、という刹な、お、が、ね、い、です。

それにしても、実はですね、この単なるストリートスナップ風ですが、ただチョット撮っただけではこうはならないのですよ。この写真ができるまでは様々な血の出るような?努力、それと運が必要なのです!と、しておきます。

最終的に出来上がるにはさてさて何枚撮ったでしょう?それは言えませんね。まず写る全員の顔がハッキリしてはダメなのです。試しに撮ってみればすぐわかりますが、必ず顔がハッキリした人が一人は写ってしまいます。

ですから、全員がカメラを無視していて、近くの人は顔をカメラの方へ向けていない状況になるのをジッと待つしかありませんが、これには運が必要です。でも、一定の場所で長い時間そうしていると怪しい人と、思われかねないので、その時にさりげない旅行者風な笑顔も必要です。

ま、このような普通ではない努力が必須ですが、でもこれは、例えば俳句や短歌に字数制限があるのと同じように、ストリートフォトに必要な決まり事、と自分に言い聞かせています。

それにしても、後で見たら、横断歩道の反対側で挨拶をしている二人はまるで、あそこで演技をしてください、って私がお願いしたみたいに写っていますよ。これには私もいい感じで苦笑。ボケていても雰囲気分かりますねえ。あと、暑いから日陰で待つ人もあんな端っこに写っていたとは気づきませんでした。実は、あれ、ビラでも配っている人なのかな?と思いましたが、この日はさすがに暑かったですから、日陰で青信号を待っていた人なんですね。

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