Storytelling

写真と言葉たち

ボール球で遊んでいる少年と、太陽光線のフレア球につき抜かれた自転車とがすれ違った。

このタイトルだけを見ると凄いシュールでは?
文字だけを見たら一体何の事なのか分かる人は居ないでしょうが、この写真を見ると、納得がいくでしょう。結構笑える文では?


この文に到達するまで2週間はかかりました。


先ずこの写真を撮ってみて、なんだかバランスが不思議に安定しているのですよね。それで、よくよく見るとレンズのフレアがいくつか写っていて面白い構図には成っているのですが、でもなんだかインパクトが足らなくて、まあ、没かなあ?と思っていたのですが、そうか、どちらも「球」という言葉でまとまるかな?と気が付き出来たのがこのキャプションでした。


「ボール球で遊んでいる少年と、太陽光線のフレア球につき抜かれた自転車とがすれ違った。」


実は私は素人発明家でもありまして、かなりの数の特許を持っているのでした。その、特許の請求範囲も自分で考えるのですが、この書き方はプロ以上の腕だろうと自負しているのでした。なにしろ、普通の人なら10個くらいの請求範囲になるものを、ほとんど一つにまとめて書く能力を知らないうちに備えているのでした。ですので、物事の説明文を書くのが好きで、この術を写真に生かしているのでした。


ところが、昨今のフォトグラフィーワールドでは、どうやら、キャプションが無くても理解できる写真を求めているコンテストが大手を振るっているのですね。たぶん、「一つの映像がどんな長い説明文よりも真実を伝える」というキャッチフレーズをモットーとしているのでしょう。そしてこれを信じている人が多いと思いますが、実はこれは私は全くの陰謀論です。


その証拠に、確かにそう言える場合もありはしますが、よく考えてみてください。そのキャッチフレーズは言葉でできていますよ。映像ではありません。文字で出来た文です。そのキャッチフレーズは映像ではなく文なのですからね。頭を冷やしてください。


もう一つ、テレビの音を消して見てください。どんな番組も意味不明ですし、説明文が無ければニュースも全く意味が分からないでしょう。


イラク戦争の時の油まみれのカモメの映像がすべてを語る、と言ってもそれにもしっかりキャプションは付いていますからね。キャプションが無かったら単なる黒い油まみれのカモメであって何の意味かは分かりません。


映像が伝える真実(フェイクを含める)を伝えるには、言葉は必須なのです。


なので、世界中での写真のコンテストでもただただ美しい色合いで、一目で「奇麗」だったり、本当に偶然な出来事、「あり得ないスポットライトが当たったところに一人の人が写っている」というのがベストな写真という定説があり、ほとんどの人気のある世界のフォトグラファーはそれを目指しています。


これはかなりの運と時間と努力が必要です。
なので、私にはそれは無理なので、その様な現在の主流のやり方は止めて、単に普通に撮った写真でも、キャプションを付けたり、文を添える事で何とかなる道を探る事にしているのですが、、、。

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