Storytelling

写真と言葉たち

進行する方向などを指示する人たち。(ストリートフォト術)

未来を示す様々な指が集う場所


工事中の喧騒に包まれた
渋谷駅近くの横断歩道で、
様々な指示が飛び交っていた。


横断歩道の反対側で、交通指導員が
バスへ誘導灯をかざし、
停止の合図を送っている。


その隣では、小学生が
友達に遠くの方を指さし、
新しい冒険を探しているようだ。


目の前では中国人のグループの一人、
若い女性が母親へ対して指を差し、
観光スポットや待ち合わせ場所を示している。


しかし、その場の喧騒をよそに、信号を待つ一人の女性がいる。
彼女は他人の指示には関係なく、静かに自分の道を見つめている様だ。


だがしかし、そう、もともと、渋谷の街は、
未来を示す様々な指が集う場所なのだ。


渋谷の駅の周りはいたるところで工事中です。先日も山手線のホームの大工事が行われていて、いつも利用する私にとっては最も乗り換えに便利な乗車位置が変わってしまい、まだベストの位置が見つかっていません。


当然この渋谷はハチ公前辺りを中心に旅行者も多く、カメラを持っている人も沢山いる様に私にとっても被写体を確保しやすい場所でもあるのでした。


さて、渋谷駅南口の信号を待っていたら何やら行先を思案中の中国人旅行者風の方たちが話し合っていました。とっさにカメラを構えて構図を瞬時に決めてパチリと、超早業で決めてみましたが、後でチェックしたら、道の反対側でも同じように、行き先を指示している人が写っていました。よく見たら左端でも交通保安の方が交通の進行を指示している人がいて、計三人が進行する方向などを指示しているのが偶然にも、神の指示があったかの如く写っていました。ちょっと大げさかも知れませんが、こんな偶然は普通にはあり得ません。一枚の写真に撮ったからこそ分かる瞬間の出来事なのでした。


そうしてみると、傍のもう一人の信号を待っている方はきっと行先はもう既にハッキリと理解していると思われますね。周りの人の他人の指示には関係なく我が道を行く決意があるのは、良く分かります。と、まあ、いろいろ妄想すると結構見れる一枚なのですよ。中国人の女性は話すとき腰に手を当てるってのも日本人にはあまり無いかも、とか。


さてさて、私も基本的にストリートカメラマンなのですが、つまりは通行人を主に撮っている訳なのですが、だんだんと撮り方の方法がマイ術として少しづつわかり始めてきました。


兎に角ストリートフォトを撮るには危険がいっぱいなのです。つい最近でも「警察へ行きましょう。」と、怒られましたよ。でもこちらは別に犯罪になる様な撮り方はしていないし、撮ったものを見れば単なる通行人ですからすぐに犯罪とは関係ないのが分かるので、その人も納得はしましたが、たしかに、撮る時にはしっかりと撮る格好をしてみんなに私はカメラマンだという認識をさせなければならないのだな、と一つ教訓を得ました。


だけれども、確かに無断で人を撮るのは犯罪に近いものも少しはあるのです。これはアリストレレスのプラトンの弁明の話と少し似ているものがあるのですね。あ、これは私の独断の解釈ではありますが、つまりは、真実とは追求しすぎると究極的に犯罪になる事もあり得る、まあ、一般法律の犯罪ではなく、神から罰を受けるかも知れない、という事なのでした。


つまり、歩いている人とはいわば皆神の指令で動いているとします。それをカメラで撮ってその指令を暴くと、神がせっかく秘密に動かしていたのにそれを私がカメラで暴いてしまうのは、さて、必ずしも神の意向なのでしょうか?そういう訳で、私がもしかしたら暴いてはいけない事をカメラに収めてしまうのは、かなり、神の意向に背かないことをする可能性もある訳なのです。


まあ、そんな訳で、撮る時は十分に周りから嫌われないようにスマイルをキープしつつ、「私は良い人です。」をアピールしつつ作業を心がけようとしています。もちろん、他人を正面から撮ることなどは絶対にしませんし、そんな度胸はある訳ないし。どうカメラを構えるかのいくつかの安全なやり方を身に着ける必要もあります。


その安全策として必然的に後ろから撮る事が多くなるわけなのですが、しかしさて、後ろから撮っても絵になる人はなかなか居ないのですね。行けると思っても撮ってみたら没、というのもありますし、その逆もあります。そんな訳で、撮る枚数はかなり多いです。その中から肖像権に触れないものを選択していくという訳です。

どうしても、没にしたくはない一枚だけど、見知らぬ顔がハッキリと写っちゃった時などはフォトショップで削除したりします。これはテレビで宣伝している様に中々すごいAI機能なのです。この機能が無かったら、私の作品は成り立ちません。

ところで、インスタで世界の写真家のものをいろいろ見ていますが、やはりこの件はなかなか大きな問題で、どういう風に街の人を撮ったらよいのかは皆さん苦労している様子が分かります。そこで最近気が付いたのは、実は顔が個人判別できる様な一般人の顔写真だからといって実はたいして面白い、とは限らないのですね。仮にその写真に写った人がどんな人かがすぐに分かるからといって、それは単なる一般の人の顔なのであって、アート的に面白い写真なんてものは実は少ないのですね。ああ、そんな顔をを公表したところで、どこが面白いのだろう?と思うだけで、むしろ、顔がハッキリしていないほうがアート的には面白いものは沢山あります。

そう、実は最も基本的なストリートフォト術とは、「個人識別が出来ないように撮る。」という事なのですよ。こう考えると結構気が楽になれます。皆さんもストリートフォトに挑戦してみましょう!

蛇足
多くのストリートフォトグラファーは最初から人を避けて撮っているか、撮っても単なる背景としている方がほとんどです。でも実はちゃんとした人物が効果的に入ると段違いでクオリティーがアップするのですね。特に、今流行っているのが、個人識別できないくらい真っ黒の人を一人だけポツンと構図に入れるスタイルです。これ世界では本当にやる多くて、人気のストリートフォトグラファーのトップクラスの人はみんなこの手法をやっているのです。これも、「個人識別が出来ないように撮るけれど、アート性は確保する。」という苦肉の、でも効果的な策なのでしょう。

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