TORUS

写真と言葉たち

目黒セントラルスクエアにて(続)アートが伝える真実

ここには面白い形をしたモニュメントがあります。しかし、そこにはこんな張り紙が!

確かに子供がここに上るのは危険でしょう。でも、子供だってここへ上るのは可成り勇気が必要ですから上るのはふつうためらうとは思うのですが、まあ、事故が起こると困るから警告のつもりなのでしょうが、でも、これってこれを作った人にとっては侮辱ですよね。こんな張り紙をされたらアート性は消え去ってしまいます。


この張り紙はおそらく無料素材を利用したもので、いわば、この建築した建築アーティストが作った作品への、攻撃的一撃です。明らかに、もっと人の事を考えた人にやさしいものを作れという意味がはっきり分かります。


このモニュメントの傍にはこんなものもあって、全体で一つのモニュメントなのでしょう。

よく見ると端のほうは他にもあるものと同じ座れる形状なのですが、少しづつ座りずらい角度になっていき、その先のモニュメントの主題は全く座る事の出来ない形状です。


多分これを見て、「最初は庶民でも座れるような形状になっているけれどその先には座れない形状になっていて、庶民を無視した無駄な構造である」と判断したであろうことは、その様な政治的判断をするある団体が考えそうなことですね。

他にも巨大な似たようなモニュメントがありまあす。よく見ると、上と同じ張り紙が貼ってあったようなノリの跡が付いています。


なので、明らかにこの空間には、アート的デザインを拒否する雰囲気が満ち満ちていますね。


でもアートとは、特に実生活に便利に使える機能は必要とは限らないのです。何しろアートとはもともと庶民から出てきたものでは無くて貴族や宗教から発生したものであり、アートとは神や真実と関係があるものなのでした。なので、ここにある様なアート作品はアート感覚の無い人から見たら無駄なものに見えるのでしょう。


さて、確かに座れる形状からだんだん座りずらい形状になっていますが、この作品をよく見ると、一番の目立つモニュメントは駅からここへ来る玄関口にあたる場所に設置してあります。


すなわち、外から来たら最初に出くわすのがこの大きな登ると危険な鋭い形状のドンとおいてあるモニュメントです。そこから、少し離れてまるで、その巨大な鋭い形状が頭だとしたら、そこから発生した帯がだんだん座れる形状になっていき、ベンチとして利用できる形状になっている、とも見えるのです。


つまりこのアートモニュメントの主題は、「我々はこのビルを最先端の技術で構築し、他のビルとも共に戦い切磋琢磨し業務に勝利することを目標とし、これを実現するために巨大な悪の相手であってもこれを破壊する装置を先頭に設置したが、一旦我々の敷地内に入った友人は安らぎのベンチで疲れた心を思う存分癒して下さい。」みたいな?ものと想定できるでしょう。


成程、確かにこのアートは上から目線で考案されたものですね。でも、それは無理もありません。こういうものを制作できるのは庶民では無いですし、デザインできるのはそれこそセレブのデザイナーでなければ仕事も来ません。そういう人たちに庶民感覚はある筈はありません。たぶん、「もしこのモニュメントに子供が登って怪我をしたとしても、それは、些細な問題で我々(外国人?)には関係ない。」っという意味も確かに少しはあるかもですね。


そんなわけで、このアートモニュメントも、このままではこのアートに貼られた張り紙も一体となって表現されていてここから伝わる事は、「このスクエアはアートを拒否する心の貧しい人が来るところです。」となっています。


本当にアートとはどんなレベル、神に近いものでも庶民に近いものであっても真実を伝えてしまうのですよね。アートって怖いのです。


このモニュメントにはいわば最近中国の誰かが言った「天罰が落ちるぞ」の天罰がすでに落ちかかっているのでさあて、どうなるのか?このモニュメントが反撃の天罰を下すのか、より強力な天罰がこのモニュメントに下されるのか?天はどう裁くのでしょう?


そういう意味で、今度作る渋谷のサクラステージ、という名前は良いなと思います。あの近くには桜が満開になると凄い奇麗な坂があるのですよ。そういう現実の事実である真実を象徴としているのは良いアイデアだと思いました。ただ、サクラを、さくら、と平仮名にした方がベターだとは思いますけどね。

×

非ログインユーザーとして返信する