TORUS

写真と言葉たち

ある午後の六本木駅の出入口付近の図



自分の容姿チェックに余念のない女性の脇で、
待ち人を探しているような男性は、
きっと急いで地下鉄から地上へ上がってきたところのようだ。


すぐその傍を通り過ぎる自転車に乗った人や先を急ぐ男性たちは、今日片づけた仕事の事や、これから会うミーティングの事などを想定している風で、各自ハッキリとした目的を持っているのだろう、力強く前へ前へと歩いている。

誰もが自分の行く先を
真っすぐに見つめて
時には立ち止まり、
時には振り返り、
とにかく前へ前へと進んで行く。


途中で休憩して通る人ウオッチをしました。



会社から出てきた人、自転車に乗ろうとする人、立ち止まりスマホを見る外人、一息入れている配達する人、駅へ向かう人、それぞれの人が一つの舞台で本気で自分の人生を演じている。


しばらくすると、演技者は変わって女性メインになりました。


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このブログって、最初の写真だけは原寸大なので、
「画像を新しいタブで開く」と、写真を拡大してみる事が出来ます。
で、最初の写真には後ろの方にも何人か写っているのですが、
その人たちも良く見えて観察できるので、
いろいろと妄想出来て楽しいですよ。

ビニール傘は素晴らしい発明品

夕方の帰宅中の人を望遠で撮ったらとうなるのかなと思い、試してみました。

意外と単なるビニール傘が何だかこの図の中では主役になったようで、女性が持っている少し傾いた角度で存在しているのが、なんだか生々しい。


写真とはその名の通り真実の真を写すものだな、というのを再認識しました。


多分右手でハンドバッグを持った手を耳の近くに持ってきているのはスマホで、今日買う惣菜の相談を連絡しあっているのかなあ?という感じでそれほど早くはない速度で歩いている感じです。


たったこの小さな画像からもなんだかこの方の様子が生々しく想像できるのも、たぶんビニール傘が格好良いカーブを描いて写っているからかも知れません。


確かにビニール製だと前もほぼ明るく見えるので、傘としての機能性からも形態からも、しかも値段もお手頃とは、正に素晴らしい発明品だなあ、というのを再確認しました。

やはりビニール傘を使っている人はかなり多いですね。


男性も撮ってみましたが、やはり絵にはなりずらいなあ。
やはり自分の趣向が出てきますよね。男は撮りたくない!


しかし、マスクをしてるから前から撮っても肖像権侵害は回避できそう?
だからって、マスク姿じゃあ絵にならんわね。
しかし、このマスク姿、街にいつまで続くのでしょうか?

水わだちの精霊

雨が降って汚れた空気や汚れたアスファルトの泥を洗い流したからなのだろうか?いつもの帰り道の交差点は、車のライトに照らされてなんだか煌びやかな雰囲気が漂っていました。


歩道を渡り終わったあたりに目には見えない何かがある様な気がして、少し立ち止まりファインダーを覗いて、いいところへ車が来た時にシャッターを切ってみました。


確かに白線とか、マンホールの蓋、歩道のラインとか、タクシーの動いている距離感とか、当たり前だけど生々しく現実の一部を切り取っている事は確認でき、改めてタクシーの運転手も歩行者との距離を十分に取った場所を通過していることは確認できる図にはなっていますよね。(・_・D フムフム。


でも、なんだか少し気になるところがあります。それは動いているタクシー。あたり前だけどシャッターは長めだったのでボケてはっきりとは映っていません。(、、、ところで、さすが、ブレ防止機能が利いてアスファルト面がクリアーですねえ。)でも、よく見るとタイヤの動いた後ろの処、に何やらモヤモヤしたものが写っています。何だろう、と思い拡大してみました。それがこれです。


これはシュゴイ!タイアの動いた後に水がはねてこんな模様が出来ていました。


これを科学的に考察すると、まずタイア幅の外側部分が水を左右に飛ばしてその次にタイアの中央部分が水を真上に引っ張って飛ばす、という現象が起きている風です。


本当に一瞬の間にしか現れない現象をハッキリとカメラはとらえていました。
そんな訳で、この現象の事を「水わだち」と勝手に命名しました。


人の目では見えない図をカメラを使えば見える訳で、この図は、神のいたずら、では大げさすぎるので、たぶん、水わだちの精霊が気が付いた人にだけ見せてくれた一瞬の映像なのかも知れませんよ。


最初に感じた煌びやかさの理由が写真を撮ってみて納得です。
しかし、このLUMIX GX7MK2 よく映ります。

無の心で電話ボックスのドアガラスに付く沢山の雨粒たち。


電話ボックスのドアガラスに沢山の雨粒が付いていた。
これを写真で録ったらどうなるのかを試してみた。


あれ?なにか意味がありそうな、なさそうな構図に、これは何だろう?
と思うと、そう、いくつかハッキリと分かる確かな事実がありそう。


それは、雨粒の大きさ。
どうもこのガラスに付くには最大の大きさはどうも5mm位までに決まっているようだ。
しかも、それぞれの雨粒の間隔もある長さ以下に決まっているようだ。


とすると、たぶん複雑な数式を駆使してコンピューターでシュミレーションすればこれと似たような画像は作れるのだろう。何しろ、ドライブゲームでも運転する窓ガラスに雨粒が流れるのも表現できているのだから、。

さてさて、ここには確かに雨粒が存在している訳なのだけれど、雨粒それぞれはここに取り付こうとしてここに来たのだろうか?いやいやそんな事はあり得ない。雨粒自体にそんな意思があるはずはないし、ひとつの自然現象としてここに存在したのだ。


そう、雨粒は複雑な数式を使うことなく、ただただ自然の法則に従い、言い換えれば、神の意志に従い、無の心でここに存在しているのだ。

ジェット機が飛び交う都市

目黒駅から高縄ゲートウエイ駅まで歩いてみた。

歩いている途中ズット気になったのは空を飛ぶジェット機だ。
それと高縄ゲートウエイ駅前の広大な何もない土地。


夕方だからサラリーマンの人が多いが毎日の事なので気にならないのかなあ?と思ったけれど、やはり気になるらしい、信号待ちでスマホを見ている人も大きな爆音で飛んでいくジェット機に時折目を向ける人がいる。


又、ゲートウエイ駅前はかなり広い範囲でまだ工事も始まっているのかどうかは分からない何もない空き地で、まあ、一つの工業地帯を作れるくらいの広さがあり、その上を夕方になるとジェット機が次から次へと通過している。

何年かするとここに高層ビルでも出来るのだろうか?だとすると、巨大な都市が新たに作られることになる可能性はあるのだろうが、さて、そのように景気の良くなる日本なのだろうか?


それに、広大な空き地とジェット機の組み合わせは何か違和感がある。
例えば巨大な経済地区が出来て沢山の人が集まる場所になったとして、その空の上に夕方になるとジェト機が飛び交う図はとても不自然ではないだろうか?。

実はとても嫌な例がある。


羽田空港の近くに、野犬の保護施設?ちょっとそう見えるだけで本当は?ですが、ありました。というか、今もあるけど当然動物も人もいません。なぜなら?真上をジェット機が飛び交っているからです。想像するに動物たちがジェット機の騒音がうるさくて騒いだのではないでしょうか?まあ、これは憶測ですが、そこは、人だって騒音で事務作業なんかできるような場所などではないのです。


おそらく、人がいられるような場所ではないので、動物なら構わないだろうと思いこの様な施設を作ったのでしょうが、案の定動物にも嫌われたのかもしれません。すべてこれらは私の憶測ですが、この高縄ゲートウエイを見て思い出してしまいました。


しかもゲートウエイとは、いろいろなものが交錯する場所です。ここに飛行機の騒音まで交錯したら都市としてどうなのでしょうか?。日本橋の上に高速道路を作ってしまうまるで日本を否定するような都市づくりをしてしまった二の舞になる危険がありはしませんかねえ?

もし私が美しい都市を作ろうとしたら、真上をジェット機が飛び交うような設計はしません。
しかし、日本をあまり好きではない人だったら逆にジェット機を飛ばしても、その方が経済的に良いのなら騒音には気を留めないかも知れません。


さてゲートウエイとは、情報が通過する門です。つまり人ではありません。なるほど、そういう場所にする可能性はありますね。すなわち人はほとんど不要で、コンピューターやロボットで成り立つ都市。
で、働くのは日本人ではなく外国人が主になる。
だから本来なら泉岳寺がすぐ傍なのだから駅名は当然「泉岳寺」にすべきなのに、これは仏教の名前だから外人には似合わないし、敵の神になってしまうのでこの案は没にされれた、そういう気もしますねえ。

いづれにしても、これらを踏まえたうえでこの都市を作らないと間違いなく天罰は下されると思いますよ。バブル崩壊という天罰もありましたよね。

しかし、もしこれらを踏まえて何か新しい方向を見いだせたら、それはエデンの園になる可能性も無きにしも非ず。


最後の写真、教会かと思ったら警察署ですね。なんか飛行機のシルエットに似合うなあ。