Storytelling

写真と言葉たち

突然現れたピースマン


何処を撮ろうかとファインダーをのぞいていたら、突然自転車に乗った人が来たところでシャッターを押してしまいました。後で見たら、少し東洋人風の彼はここへ来る前から写されるのを狙っていたらしくピースサインを作っていましたが、そう、こういうおおらかな雰囲気の人って昔は結構いたのですよね。だいぶ世相が変化してしまいました。


でも、もしかすると外人から見たら日本で暮らすことは結構ハッピーな気分の人がいるのかもですね。御徒町も完全に中国化していてしかも、そこの店員はみんなとてもハッピーそうに仕事していますものね。まあ、日本にとっては中国化するのは避けられない方針なのでしょうが、これに関して文句を言う日本人殆ど居ませんね。


でも、彼のおかげで一つの作品が出来ました。まさに、真実の日本の姿です。

赤信号とハートのある風景

目黒駅南口の交差点は中々わたるタイミングが難しいのです。ある時間だけ斜めに横断できる時もあり、青になるタイミングがつかみづらくフライングする人も結構いたりして。


実はそういう私もこの前若干フライイングしたら、傍にいた数人のグループの一人が、「兎に角安全第一が一番」とつぶやいていました。

目黒セントラルスクエアにて(続)アートが伝える真実

ここには面白い形をしたモニュメントがあります。しかし、そこにはこんな張り紙が!

確かに子供がここに上るのは危険でしょう。でも、子供だってここへ上るのは可成り勇気が必要ですから上るのはふつうためらうとは思うのですが、まあ、事故が起こると困るから警告のつもりなのでしょうが、でも、これってこれを作った人にとっては侮辱ですよね。こんな張り紙をされたらアート性は消え去ってしまいます。


この張り紙はおそらく無料素材を利用したもので、いわば、この建築した建築アーティストが作った作品への、攻撃的一撃です。明らかに、もっと人の事を考えた人にやさしいものを作れという意味がはっきり分かります。


このモニュメントの傍にはこんなものもあって、全体で一つのモニュメントなのでしょう。

よく見ると端のほうは他にもあるものと同じ座れる形状なのですが、少しづつ座りずらい角度になっていき、その先のモニュメントの主題は全く座る事の出来ない形状です。


多分これを見て、「最初は庶民でも座れるような形状になっているけれどその先には座れない形状になっていて、庶民を無視した無駄な構造である」と判断したであろうことは、その様な政治的判断をするある団体が考えそうなことですね。

他にも巨大な似たようなモニュメントがありまあす。よく見ると、上と同じ張り紙が貼ってあったようなノリの跡が付いています。


なので、明らかにこの空間には、アート的デザインを拒否する雰囲気が満ち満ちていますね。


でもアートとは、特に実生活に便利に使える機能は必要とは限らないのです。何しろアートとはもともと庶民から出てきたものでは無くて貴族や宗教から発生したものであり、アートとは神や真実と関係があるものなのでした。なので、ここにある様なアート作品はアート感覚の無い人から見たら無駄なものに見えるのでしょう。


さて、確かに座れる形状からだんだん座りずらい形状になっていますが、この作品をよく見ると、一番の目立つモニュメントは駅からここへ来る玄関口にあたる場所に設置してあります。


すなわち、外から来たら最初に出くわすのがこの大きな登ると危険な鋭い形状のドンとおいてあるモニュメントです。そこから、少し離れてまるで、その巨大な鋭い形状が頭だとしたら、そこから発生した帯がだんだん座れる形状になっていき、ベンチとして利用できる形状になっている、とも見えるのです。


つまりこのアートモニュメントの主題は、「我々はこのビルを最先端の技術で構築し、他のビルとも共に戦い切磋琢磨し業務に勝利することを目標とし、これを実現するために巨大な悪の相手であってもこれを破壊する装置を先頭に設置したが、一旦我々の敷地内に入った友人は安らぎのベンチで疲れた心を思う存分癒して下さい。」みたいな?ものと想定できるでしょう。


成程、確かにこのアートは上から目線で考案されたものですね。でも、それは無理もありません。こういうものを制作できるのは庶民では無いですし、デザインできるのはそれこそセレブのデザイナーでなければ仕事も来ません。そういう人たちに庶民感覚はある筈はありません。たぶん、「もしこのモニュメントに子供が登って怪我をしたとしても、それは、些細な問題で我々(外国人?)には関係ない。」っという意味も確かに少しはあるかもですね。


そんなわけで、このアートモニュメントも、このままではこのアートに貼られた張り紙も一体となって表現されていてここから伝わる事は、「このスクエアはアートを拒否する心の貧しい人が来るところです。」となっています。


本当にアートとはどんなレベル、神に近いものでも庶民に近いものであっても真実を伝えてしまうのですよね。アートって怖いのです。


このモニュメントにはいわば最近中国の誰かが言った「天罰が落ちるぞ」の天罰がすでに落ちかかっているのでさあて、どうなるのか?このモニュメントが反撃の天罰を下すのか、より強力な天罰がこのモニュメントに下されるのか?天はどう裁くのでしょう?


そういう意味で、今度作る渋谷のサクラステージ、という名前は良いなと思います。あの近くには桜が満開になると凄い奇麗な坂があるのですよ。そういう現実の事実である真実を象徴としているのは良いアイデアだと思いました。ただ、サクラを、さくら、と平仮名にした方がベターだとは思いますけどね。

目黒セントラルスクエアにて

横断歩道の向こう側からこちら側へ来る人と
こちら側から向こう側へ渡る人。


目黒通りを目黒駅へ向かう人と、
目黒駅から自宅へ帰る人。


そんな人の流れを見ていたら
私の脇を軽やかに通り過ぎて階段を下りていく人がいた。
同時に下から日傘を持った女性が階段を上ってくるようだ。


今日もまだまだ暑いから階段も
そう勢いよく上って来る風でもなかった。


そう、
都会というものは行く人来る人の人の流れがスムースに行くように
十分に様々な予想を立てて綿密に計画し構築されているもの


な、の、だ、け、れ、ど、
ああ、それなのに、
オー、マイ、ガッド!!


中央拡大図

どうも、私の写真には最も重要な被写体は小さく写る傾向がある様なのでした。
でも、彼の気持ちは分かりますよね。信号システムも必ずしも完璧とも限らないのでしょう。


近くにあるモニュメント


実は、目黒駅東口の目黒通り上り下り二つの信号は歩行者の赤が不自然に長いのです。もう、明らかに車は来ないのになかなか青に毎回ならないのですね。だから必ず一人はもう青だと思ってフライイングをする人が本当に多いのです。


こんな感じで、。

まあ、どんなものでも使い勝手が完璧なものはなかなか難しく信号システムもそれこそAIを使ってより臨機応変に機能するようにいつかはなるのでしょう。ンン、これいいアイデアですね。中国より先にぜひ実現できたら良いかなあ?

停めてある自転車と青山通りを行く人たち

いつも通るこのビルの一階に最近同じ自転車が停められている。
なかなかデザインが良いので少し気になっていたので少しわざとらしかったけれど取りあえず撮ってみた。


よく見るとフレームの形とか色やサドルの形態などほんとによく考えられたデザインだとおもう。何しろ、ブレッソンも良く自転車を被写体にしていたのだからストリートスナップの素材としては大昔からナンバーワンの被写体として誰もが重宝している。


それにしても大胆にもこうして停められているのだからこのビルの関係者なのだとは思うけれど、ここに留めてある理由の詳細はどうなのかは分からない。


まあ、そんな理由はどうであろうと、そんなことには関係なく青山通りには様々な人たちが行きかっている。


車道で荷物を運んでいる配達員の人、忘れ物を確認しながら急いで駅へ向かう人、道路柵に寄りかかりスマホでメールチェックしながら休憩している人など、それぞれの人は他のそれぞれの人とは全く関係なくそれぞれの人が自分の目的へ向かって行動している。


さて、少し先では工事中で、通行人保護や危険を防止するために警備人が配置されていました。確かに様々な作業を円滑安全に行うには必要な人だけれど、今はそれ程の大きな作業では無いのかやや手持ちてもちぶたさ、じゃあなく、手持無沙汰気味の様でした。