Storytelling

写真と言葉たち

無の心で電話ボックスのドアガラスに付く沢山の雨粒たち。


電話ボックスのドアガラスに沢山の雨粒が付いていた。
これを写真で録ったらどうなるのかを試してみた。


あれ?なにか意味がありそうな、なさそうな構図に、これは何だろう?
と思うと、そう、いくつかハッキリと分かる確かな事実がありそう。


それは、雨粒の大きさ。
どうもこのガラスに付くには最大の大きさはどうも5mm位までに決まっているようだ。
しかも、それぞれの雨粒の間隔もある長さ以下に決まっているようだ。


とすると、たぶん複雑な数式を駆使してコンピューターでシュミレーションすればこれと似たような画像は作れるのだろう。何しろ、ドライブゲームでも運転する窓ガラスに雨粒が流れるのも表現できているのだから、。

さてさて、ここには確かに雨粒が存在している訳なのだけれど、雨粒それぞれはここに取り付こうとしてここに来たのだろうか?いやいやそんな事はあり得ない。雨粒自体にそんな意思があるはずはないし、ひとつの自然現象としてここに存在したのだ。


そう、雨粒は複雑な数式を使うことなく、ただただ自然の法則に従い、言い換えれば、神の意志に従い、無の心でここに存在しているのだ。

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