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平成最後の夏が未だ先のころ ~ 西部邁氏へ捧げて




平成最後の夏が未だ先のころ ~西部邁氏へ捧げて


改めて西部氏とはどんな人だったのかを色々調べてみました。もちろん彼の言論は色々あったようなのですが、もう一つ力を入れていた事があったようです。それは「歌」です。


西部氏はカラオケが好きだった事が次のビデオで紹介されています。しかもかなり歌に関しては色々とうんちくがあったようです。それがどの様なものだったのかは私などにはその場にいた訳ではないので知る由もありませんが、その一端がこのビデオからうかがえます。



日本の歌鮫島有美子西部邁ゼミナール 2014年9月14日放送


これで驚くのは、天下のMXテレビで伴奏も無しに、なんとプロの歌手がいる前で鼻歌で歌を歌っているのですね。よほど自分の声に自信が無くては出来ませんよね。プロ歌手ならばそんなことはボロが出るから絶対にしないでしょうね。まあ、ワンフレーズ位ならふざけてやるかもですが、ワンコーラス行ってます。


現在の日本には様々なプロ歌手がいるのに、俺のが上手い、とでも言うかの如くのパフォーマンスは、さすがです。その通りそのパワーに圧倒されたのでしょうか?同席した歌手は音程が少し不安定になってしまいましたが、それにもめげず西部さんは自分の音程を押し通しました。このパワーにプロ歌手さんはかなり焦って動揺したかもですね。


よく聞いてみるとこの時の西部さんのメロディーの取り方はかなり完璧でした。ワンフレーズ歌ってコマーシャルが入って休憩し、次のカメラスタートからさんざ話した後、続くワンフレーズをアカペラで歌ったのですが、キーは全く同じに正確に始めてました。よほど音感が良くないとこれは難しいです。っとまあ、それを聴きとったのも中々か?、ゴホ。


少し聞いただけですが、なかなか素直な声で、仲間からは褒められていたようですから、本人もその気になっていた事はこのビデオから分かります。


さて、そこまで彼が歌謡曲に思い入れがあったようなのですが、では主に何を歌っていたかというと、どうやら軍歌もメインの一つだったようです。しかも、歌詞にはうるさかったようですが、言葉というものには最大の知見の高い方ですから歌詞にこだわるのは当然でしょう。となると、少し思い当たるところがあります。


実は日本文化の源は万葉集に始まる和歌にある事が、放送大学の和歌の講義で言っていました。又、天皇陛下の重要なお仕事の一つが和歌を伝える事であることは毎年行われている歌会始で知られています。そして放送大学によると和歌の最終形がアララギ派であるとなっていました。


そして、そのアララギ派、アララギ派風な考え方はその後どうなったかというともしかして戦後否定されたのかも知れません。というのもアララギ派の人はヒットラーの詩を書いたりとかしていましたからね。


では、日本語文化の源である和歌の主流だったアララギ派を受け継ぎ代弁する日本語の歌が出来たのか?というと、現在の歌謡曲は日本語を英語っぽく発音してまるで日本語の否定のような歌ですし、残念ながら演歌はボサノバのように世界へ広まっている訳でもなく、世界へヒットした日本の歌は「上を向いて歩こう」の他に無いに等しい状況です。


最後まで日本人とは何か?を問い続けた西部氏がここまで軍歌を押していたのも、「俺には軍歌しか歌えなかったけれど、だれか俺の代わりに世界へ通用する日本人の魂の詩を歌ってくれよ」と、言っていたように聞こえないでしょうか?


そんな訳で、もし10年後に世界へ誇れる日本語の詩歌音楽がヒットするとしたら、その源流が西部氏の魂にあったのか?、となる事を想定してこの詩を書いた事になっていたのでした。なんかマタイ伝っぽい予言詩の形ですねえ、ッと自画自賛。

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